アートの価値は誰が(何が)決めるかという永遠の問いをちょっとだけ考える今日この頃

カラフルな線のなかに人々が描かれた絵画

アンディ・ウォーホルのブリロ・ボックスを3億円で鳥取県立美術館が購入したことが、なにやら騒ぎになっているようですが、その問題(なのか? という疑問はさておき)のひとつが「高すぎる!」という話だそうで。そんなときにうってつけのドキュメンタリー映画を見たんですよ。

ドキュメンタリー映画「アートのお値段」ポスター

「アートのお値段」(2018年) ナサニエル・カーン監督

いつものとおりちょい古作品ですみません。いつのまにやら投資の対象として、現代アートがものすごい値段で取引されるようになったのは何故なのか? アーティスト、美術館、批評家、オークションディーラー、コレクターらのインタビューを通してその疑問に答えを見つけようとする作品です。

いかに高く世界中の投資家&コレクターに作品を買ってもらえるかしか頭にないようなオークションディーラー(彼らなりに作品への愛はあるけど)とか、作品の値段の高さと自分の作品に少し乖離を感じながらも高く買ってくれることはある程度評価にも繋がると考えるアーティストもいれば、ラリー・プーンズのように自分の作品が高値で売れることはわかっていても同じ作風を模倣することに耐えられず新しい作品を生み出してマーケットから忘れ去られることも良しとするアーティスト、アートが好きで金もうなるほど持っている(うらやましい)個人コレクター、さらにゲルハルト・リヒターのようにすべての人に作品を見てもらうために美術館がアートを保有するべきだと考えるアーティストなど、ほんとに人々の価値観は多種多様で、単純な答えはなし! 金の亡者の投資家対アーティスト魂みたいなわかりやすい二項対立もなく、結局のところアートの未来として何を選ぶのか、視聴者が考える材料となるような作品だったかなぁと。

風船うさぎのジェフ・クーンズも出てるんですけど、金とアートの関係をある意味ドライに捉えていて、そこは好き嫌いが激しく分かれそうな描写が満載で、個人的には「なんだこのチャラチャラした奴は」とイメージダウンは避けられませんでした。ごめんなさい。

一介の庶民の私としては、やはり美術館に作品が並んでみんなが見られる環境がうれしいな、と思う立場なので、映画の結末はとても素敵なものとして受け取りました。ぜひご覧ください。そういう意味で、鳥取のブリロ・ボックス購入はいいことだと思うんですけどね。ただ3億という値段が妥当なのか、その儲けは一体誰が享受してるのか、駆け出しのアーティストから数百ドルで買った作品が後に高騰した場合、儲けはアーティストに一切なかったりする状況も映画で描かれていたので、これもまた難問。しかし、考えるのは大事。

ラリー・プーンズ 水玉作品
ラリー・プーンズがもう同じ作品飽きたといって描かなくなったドットの作品がこれ
ラリー・プーンズ 抽象絵画
ラリー・プーンズ2021年の作品がこちら。素敵! image via dazed digital

好感度爆上がりしたのがラリー・プーンズで、売れるとわかっている作品をずっと続けて描くことより、自分の創造を優先する姿勢、かっこいい。もちろん良心のために霞を食って生きろなんて言うつもりはないんですけど、プーンズのように世間から一度は忘れ去られようとも作品を描き続けることによって新たな評価をまた受けているという幸せなアーティストもやはりいることは嬉しいです。

画家ロナルド・B・キタイVS批評家の壮絶ストーリー

r.b.kitaj 絵画「Erie Shore」
Erie Shore image via R.B.Kitaj
r.b.kitaj「the nice old man and the pretty girl」絵画
The Nice Old Man and the Pretty Girl (with Huskies)
r.b.kitaj 絵画「Kabbalist and Shekina」
Kabbalist and Shekhina
r.b.kitaj コラージュ作品「old and new」
Old and New Tables
r.b.kitaj コラージュ作「addled art web」
Addled Art Minor Works Volume VI

こちらは、最近見かけて「好き!」となったアメリカ人画家ロナルド・B・キタイ(Ronald Brooks Kitaj)の絵です。2007年にもう亡くなっている方でバイオグラフィーを読んでいたら驚愕の事件が書いてあったんですよ。アメリカ人ですがイギリスで創作活動をしていて、1994年にテート・ギャラリーで大々的な回顧展が開かれた際にイギリスの批評家たちから酷評され、失意のままにアメリカに帰っていったという話です。さらに当時の妻サンドラさんが急死したのは批評家のせいだとキタイ自身は考えているとも書かれていて(批評家たちの容赦のない言葉に心労を重ねていたので)、かなり壮絶な話で驚きました。

そしてキタイの死後の2017年、彼の日記が発見され、そのなかで彼を酷評した批評家たちを「living dead(生ける屍)」「no-talents(能無し)」と思う存分罵っていたり、「第一級嫉妬罪で生ける屍を告発する!」(なんとも洒落た言い回しで悪口までアーティストと感心)なんて呪咀を吐きまくっていたそうで。「墓から復讐を果たした」とかいう記事にまでなってました。ほんとに酷い批評だったみたいで、キタイの友人だったデイヴィッド・ホックニーは「悪意に満ち満ちていた」と語っていたり、批評を超えた誹謗中傷、人格攻撃にまでなっていたようです。ひどい…。「批評家はアーティストを殺そうと狙うスナイパーみたいな奴だが、美術館だけは常に私を支えてくれた」とキタイは言っていて、ここでも美術館は正義の味方だった!

アート界だけに限らないかもしれないけど、アートを生み出すアーティストが常に苦しみ、その周りの人々だけが笑う状況だけはなんとか阻止せねば! とは思うものの、巨大なマネーや権威にどう立ち向かえるのか。少なくとも巨大なマネーと組織を持ちながらも良識ある美術館や個人が増えてくれることを祈りたい、という理想論しか今日のところは思いつきません。

キタイの友人であり理解者であったデイヴィッド・ホックニーの個展が今年7月に東京都現代美術館で始まるので、とりあえず駆けつけたいと思います。

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